【心霊スポット】都内の有力心霊スポット「平将門の首塚」
どうもこんばんは。
今回は、大手町駅から徒歩3分弱でたどり着ける都内の心霊スポット(パワースポットとも?)である、平将門の首塚へ行ってきましたので、その感想と紹介を書いていきます。
平将門について
平将門は平安時代の武将であり、武力で成り上がって一時は関東を手中に収めたほどの実力の持ち主でした。しかし、そこで自らを東国の支配者として「新皇」と名乗って調子に乗っていたところを平貞盛、藤原秀郷らに討たれます。将門が成り上がって死んでいったこの一連の戦を総称して「承平・天慶の乱」といったりしますね。日本史で習った方もいらっしゃると思います。
そんな将門ですが、それではこんな話はご存知でしょうか?
平将門および将門の首塚にまつわるエピソード
すでに述べた通り、将門の本拠地は関東でした。が、討たれた将門は京都まで連れて行かれ、そちらで処刑されることになります。切断された将門の頭部は、ある夜、急に夜空へと舞い上がり、そのまま故郷である関東を目指して飛んでいったそうです。そして、その頭が落下したところが将門の首塚というわけです。
一説によるとその恨みというか怨念のようなものは相当に強く、現代でも残っているようです。実際近年起きた例では、関東大震災で全焼した大蔵省庁舎の再建の時、首塚を壊して仮庁舎を建設した僅か2年の間に、大蔵大臣を始めとしてその関係者14名が亡くなり、それ以外にも多くの怪我人や病人が続出したことから仮庁舎は取り壊されました。
また、戦後になり、米軍が街の開発のために首塚を取り壊し始めたところ、重機が横転し運転手が亡くなったことから工事を中止しています。
現代にも残る将門の怨念で、首塚は未だそこに在るわけです。
実際に行ってみた感想
1人で行ったわけではないのもあり、また大通りに面しており人通りや車通りが多いということもあり、いわゆる心霊スポットとしての怖さはほとんど感じなかったです。周りの背の高いビル群や首塚周りに植えられている木々に威圧されているかのような印象は受けましたが、それぐらいでした。純粋に心霊的な怖さを楽しむ人にはあまりオススメできないですね。
しかし、パワースポットとしての側面は大いに感じることができました。先ほど述べたような威圧感というか、畏怖を抱かせるような雰囲気、そして僕達が参拝している間にそれなりの数のサラリーマンが来たことからも、この地はむしろご利益をもたらす地として通っているような印象でした。
正面から見るとこんな感じです。
真ん中の墓石と比べて木々が高く、写真でも威圧感を十分に感じることができますね。
こちらで誰でも首塚に関する簡単な知識を得ることができます。
余談ですが、この首塚に行った次の日、僕の使っているテレビが壊れました。
おかげで2万の出費をせざるを得なくなりました。こちとら金出して参拝したのになんたる祟りでしょう。代わりになんかいいことないと許さんからな。
終わりに
さて、総括するとやはり先ほども言った通り、いわゆる心霊スポット目当てにみんなで車で行く〜みたいな目的の方にはオススメできません。純粋に歴史好きな方やパワースポット目当ての方にはそのアクセスの良さも相まってかなりオススメできると思います。
ご利益が欲しい方は是非行ってみては?ただし祟りがあっても僕は一切責任を負いませんよ。。。
それでは、今回はこの辺で失礼いたします。
では!
ネットの怖い話 #1 八尺様
今回は、インターネット上に書き込まれた怪談の紹介をします。以後、当ブログではこういった怪談を「ネットの怖い話」と呼ぶことにします。
こちらから読めます↓
https://恐怖の泉.com/kaidan/47wa.html
八尺様について
この話は、2008年8月にネット掲示板5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)に投稿された怪談です。
それまでにネット上に投稿されていた怪談の中にも良作は数多くありましたが、八尺様に関しては現在の知名度、話の完成度、そして類似した投稿による話の広がり(アクサラなど)など様々な観点から、1つの大きな集大成ともいえる作品ですね。
物語の核となる怪異を引き起こす元凶がこういった妖怪、化け物である系統の怪談には「くねくね(2003)」や「ヤマノケ(2007)」がありますが、これらはどちらもある1つの家族内での怪異です。八尺様がこのような怪異と異なるところは、その規模が村という1つの大きな共同体の中で起こる怪異ということで、このことが後の呪われる系怪談に大きな影響を与えたであろうことは想像に難くありません。
怪談好きの方なら僕が紹介するまでもなくご存知かと思いますが、ネットの怖い話にあまり触れたことがない方はこの話から読むことをオススメします。長さもちょうどよく、過激な描写もありません。
この怪談の評価
知名度 ★★★★★(かなり有名!)
怖さ ★★☆☆☆(後ろが気になるぐらい)
物語の完成度 ★★★☆☆(読み物として面白い方だと思います)
エグさ(グロさ) ★☆☆☆☆(過激な描写はほとんどありません)
リアリティ ★☆☆☆☆(やはり現実離れした妖怪系の怪異ですのでリアリティは薄くなるかと。)
総合評価 ★★★☆☆
簡単に5段階評価にしてみましたが、主観的な意見なので個人差はあると思います。
怖さは大体★が4つぐらいで閲覧注意級で、怖さで私生活に影響が出るレベル(1人でトイレいけないとか)でしょうかね。話の中でこれは怖いだろうという要素を拾い、その多さで評価をつけていますが、この怪談はかなり前のものですのでやはり怖さは最近のものより薄いと感じてこの評価にさせていただきました。
物語の完成度という項目はそのままですね。怪談という枠を取っ払って1つの読み物として見たときに面白いか、場面描写は適切で読者が状況を想起しやすいか、引き込まれる文章、構成になっているか、などを見ています。
この怪談でいうと、最初は「正体不明の謎の人物を見た」という場面で始まり、途中まで読者もその正体を知らずに読み進めることになります。家に帰ったときの祖父母の反応からただ事ではないと気づき、物語に引き込まれます。一通りの反応で読者の恐怖を煽った後に八尺様に関しての説明が入るこのタイミングも秀逸です。したがって、高めにつけております。後半の部屋にこもる時の描写、車の中の描写も、感情移入がしやすくひしひしと怖さが伝わってくる演出がなされており、完成度は当時にしては相当高く、最近の怪談と比べても見劣りしません。
エグさは、描写の過激さを見ています。これは高ければいいということではなく、単純にそういったグロテスクな描写の絶対量を表しています。グロ表現が苦手な方もいらっしゃると思いますのであえて評価に加えました。
リアリティは、いうまでもなくその物語が現実に起こり得そうかということが評価のポイントになっています。基本的には創作の方が話を大きくできたり脚色したりできるため怖さのポイントが高くなりやすいですが、その分あまりに現実離れした内容の作品も多く見受けられます。もちろんそういった話も怖いですが、現実離れしすぎていて逆に怖くない…といったパターンがあるのも確かで、そういった方達はより身近な、本当に起こり得そうな話を怖いと感じると思いますので、この項目は、「怖さ」評価と別ベクトルの怖さの評価と思っていただいて大丈夫です。
本作は妖怪モノですので、そういったリアリティはあまり感じられないというのが正直な感想です。
終わりに
今回は初のネットの怖い話紹介をさせていただきました。まずは安定ということで八尺様を紹介させていただきましたが、次回からは僕のかなり好みの作品を紹介させていただこうと思います。
ネットの怖い話にあまり触れてこなかった方、ぜひこのお話から読んでみてください。その魅力にきっと取り憑かれてしまうことでしょう。
では、この辺で失礼いたします。
ではまた!
このブログについて
人は死んだらどうなるのでしょうか。
体は…当然ながら、完全に機能を停止します。その後は地域や家の文化にもよりますが、土葬なり火葬なりが行われ、人目のつかないような処理をされます。
では、魂はどうでしょうか。
ここでは魂という概念は存在するという仮定で話します。
体を離れた魂は、考え方に違いはあるにせよ、天国か地獄へいくとされていることが多く、そういったところを黄泉の国、とか言ったりしますよね。
しかしそうではなく、この世、現世と言ったりもしますが、この、現在の世に強い未練を残して死んでいったり、あるいは魂が死んだことに気づかずに現世を彷徨い続けてしまったりした場合、体はないのに魂だけがこの世に留まることになります。そういったもの達を一般に、霊、あるいは幽霊などと呼びます。
このブログは、そんな幽霊にとても興味がありながら霊感ゼロで、しかも超絶ビビリな僕が、怪談や心霊現象など、霊に関する記事を書いていくブログです。
※これから書くことは本来記事を分けてもいいかもしれない事項ですが、あえて全てこの記事に書いておきたいと思います。1つ1つそこそこ長いので分けて読んでいただく方がいいかもしれません。
僕と心霊
ではまず、僕の人生において霊というものがどんなものであったかについて書きます。
出会いは小学生の頃です。ある夜、たまたまつけていたテレビで「本当にあった怖い話」がやっていて、僕は親と一緒に観ていました。
たしかタイトルは「顔の道」とかいうものだった気がします。佐藤健さんが出演されていた回で、最後の方に霊の顔がアップで映され、視聴者を驚かせるという演出がありました。
僕はこの時脳裏にこの霊の顔が焼き付いてしまい、それから数日は1人で暗いところを歩けないのはもちろん、風呂に入っている時も扉のすぐ向こうに母親にいてもらい、ずっと会話をしながら入るという対処法を編み出していたほどのビビリようでした。
しかしこの時、僕はビビリと同時に抑えきれない好奇心を抱いていました。
それからというもの、怖がるのをわかっているくせに、小学校の図書館にあった怪談レストランに始まり、学校の怪談や小泉八雲、それから新耳袋などを漁ってしまいました。
中学、高校と上がっていき、ネットという新たな手段を得た僕はさらにその心霊への興味を加速させていきました。
ネット上で有名な怪談を読み漁ったり、目撃談や心霊スポットなどの情報も漁ったり(ビビリなので実際に自分でいくことは滅多にないですが)、霊に関する様々な説を漁ったり、と、片っぱしから心霊を堪能していました。
大学2年生になった今でもその熱は衰えていません。暇さえあれば、というほどではないにせよ、怖い話や霊に関する研究を調べたりといったことはしょっちゅう行っていますし、心霊スポットにも足を運んだこともあります。が、霊感ゼロゆえに一度もなにかを見たり感じたりしたことはありません。。。
僕の心霊観
そう、僕は心霊を実際に見たわけでもなく、感じたわけでもありません。
つまり、いるという確信もないものに興味を持っているわけです。興味がない方からしたら、なんという馬鹿なことをという感想が出てきてもおかしくはありません。
ではなぜ僕が心霊好きなのか。その理由は僕の手元にある一枚の写真と、僕の心霊観にあります。
まず写真についてですが、これは僕が5歳ぐらいの頃の写真です。
いわゆる心霊写真というやつで、写真の真ん中に写る僕の右肩から、赤ちゃんのもののような手が出ています。
顔が載っているのでここに載せるのは今の所やめておきますが、見たいという方がいましたら是非コメントをしていただければツイッターのDMなど個人的にやりとりできる手段でお見せしますし、もし知人で見たい方がいましたら直接見せます。
一応両親にも聞いたところ、なんの加工もしていない、とのことです。わざわざ子供が水遊びをしているところに不気味な手を合成するなんてさすがにやらないと思うので、嘘ではないでしょう。
もちろん、カメラの不具合や、たまたま光や水やらの反射の角度でそれっぽいものが写ってしまったと言わこともできますが、僕が見る限りではそういうものには見えませんし、そうでないことを願っています。
次に僕の心霊観に関してです。
まず最も大事な部分。ズバリ僕は霊を信じているのかいないのかということですが、少しややこしい言い方ですが、現時点では、概念としての幽霊は信じていますが、現象としての幽霊は未だに信じきれていません。
どういうことかというと、幽霊というものがあるということは間違い無いということです。理由は、見たという人がいるからです。
なんだかとてつもない暴論のようにも思えますが、事実、幻覚にせよ、見間違いにせよ、誰かしらが幽霊というものを、仮に本当にそれがそこに存在したかは関係なく、認識したのなら、それはその瞬間幽霊がその人にとって存在したということが覆しようのないことになります。
別の言い方をすると、主観的な意味においては霊は存在するが、客観的な意味においては存在を確信できない、ということです。上記の例(霊だけに)では、認識したその人の主観においては霊は存在しますよね。認識できているのですから。しかし、我々第三者にとっては、認識したという事実のみが伝わっており、同じ認識をすることができない状況にあります。
霊という存在を認識する状況を想像してみてください。8割型、暗いところ、人のいない状況を想像すると思います。つまり、霊というものを認識すること自体、客観性を欠く状況にある中である可能性が高いという性質があるため、客観性に乏しいのはある意味仕方のないことかもしれません。
したがって僕は、現象としての、客観的な霊の存在を求めています。主観的にも僕は経験したことがないですが、霊体験の話はよく聞きますし、存在しないとは決して思っていません。
しかし、みたことがないのでは信じきれないというのも納得していただけるかと思います。僕が先ほど回りくどい言い方をしたのはこういった理由によるものです。
もし霊が客観的にも存在したらこんなに興味深いことはないと思います。死ぬ、という全ての生物に訪れる区切りを乗り越えることができているわけですから。幽霊にはロマンがありますし、できることなら僕も地縛霊でも浮遊霊でもなんでもいいので、現世に霊魂を残していきたいですね。
こんな感じで、僕が霊に興味を持つ理由がわかっていただけたでしょうか。
では、主観的な霊の認識はどう起こるのか、ということに関しての僕の考えを少し紹介させていただきますが、これは「究極の自己暗示」という言葉に尽きると思います。
赤くなるほど熱した鉄の棒を被験者に見せ、その後目隠しをし、体に全く熱していない鉄の棒を当てたところその部分が火傷した、という実験をご存知でしょうか。
これは完全に思い込み、自己暗示の結果です。実際は熱くないのに、熱いものが当たっているという思い込みで人体が防衛反応を起こしてしまっているのです。考えられないようなことかもしれませんが、これは事実です。
病は気から、と言うことがありますね。体調が悪いと思い込むことによって実際に体調が悪くなることがあります。こういった負の考えがループすることで鬱になってしまうこともあるようです。
このように、人体というものは思い込みで簡単に騙されてしまうのです。例えば、暗いところ、人が死んだとされているところ、出る、という噂のあるところ。そんなところに行くと、「なにかいるんじゃないか」という考えが脳裏をよぎることでしょう。そういった状況では、いとも簡単に幽霊がいると思い込み、主観的な幽霊を認識してしまいます。
これが思い込みによって幽霊を認識するメカニズムです。僕はいまのところ、これが一番有力ではないかと考えています。ですが心霊写真の件もあり、客観的な霊の確たる存在を捨てていないことも確かです。
このブログでは何を書くのか
さて、僕の霊に対する考え方を紹介しました。
霊とは何か、存在するか、という少し哲学めいたようなことを書いてしまったので改めて言いますが、僕はただの心霊好き、怪談好きで、特に霊について研究するつもりもないです。このブログでは
・怪談書籍
・ネットの怪談
・その他心霊に関する記事、ニュース
などを扱う予定で、上2つについてはレビュー、考察および紹介記事、3つ目に関しては紹介と僕なりの考察を記事にしていく予定です。
僕はこの他にもブログを運営しており、このブログは完全に趣味枠で、趣味の合う人しか見なくていい、というぐらいの気概で書いていますので更新は不定期でしょうが、是非同じような趣向を持つ人に読んでいただきたいですし、なんなら繋がってみたいので頑張って更新していこうと思います。おそらく、最初はネットの怪談でオススメのものを紹介することになるだろうと思います。
心霊と書きましたが、その他にも科学で解明できていない系、オカルト全般も知識は薄いですが興味はありますので、そちらのタレコミやらオススメの怪談話やらの紹介もお待ちしてます!
それでは今回はこの辺で失礼いたします。